コラム<エビシャコの脱力小話>唐人お吉について


こんにちは、こんばんは
エビシャコです
今回はいつものレビュー記事更新でなくコラムです
前回のレビューで少し触れました
彼女「唐人お吉」について話します
個人的に下田は縁ある地でもあるので
いつもより気合を入れます

 

・なぜ嫌われたのか

彼女がなぜ人々から蔑まれ石を投げられるまでに嫌われたのか?
その理由ですが・・・
公式には「奉行から任ぜられて世話役になった」のですが、
民衆は「金で身を売った」「国を売った」とみなしたようで・・・
外国人を「唐人」と呼び嫌っていたことと
お吉姉様に奉行から贈られた報酬(年棒120両、支度金25両)
この風潮に拍車をかけたようです

 

・唐人お吉

本名「斉藤きち」船大工市兵衛の次女として生まれ、7歳の時に村山家の養女となりました
学問、技芸の道を学んで14歳で芸妓となりましたが、
安政の大地震(安政東海地震および安政南海地震)の地震と津波
村山家と絶縁、実家に戻ったそうです

その後、ハリスのもとへ送られ、
ハリスのもとから去った後は祇園の芸妓となり
松浦武四郎の片腕となって開国のため奔走しました

 

 

・安政の大地震

江戸の地震がクローズアップされがちですが、
安政東海地震および安政南海地震は忘れてはいけません
これらは、今注目されている「南海トラフ巨大地震」でもあるのです
安政東海地震では巨大地震とともに東海道筋を中心に各地で火災が発生し甚大な被害を出しました
そして安政南海地震でも火災が発生し、液状化現象が起きましたが
下田で顕著だったのは津波による被害でしょう
地震と津波で、下田の町は壊滅し、ロシアの艦船ディアナ号も大破したそうです

 

・その後のお吉

維新後のお吉姉様は、それはひどいものでした
人々から蔑まれ、酒におぼれ、
最終的には身投げをして自ら命を絶ったのです
それでも遺体は父母の菩提寺までもが引き取りを拒み
宝福寺の竹岡大乗師が自ら名乗り出て弔いました

 

 

・おすすめ書籍

図書館へ繰り出したり資料館を訪ねたりするのが一番ですが
手っ取り早く本を読んで知りたいという方には
文芸社から出ている「唐人お吉物語」をお勧めします
筆者の竹岡範男氏は、なんとお吉姉様の
菩提寺の住職であらせられる方です
「唐人お吉」を知りたいという方は
ぜひ手に取ってみてください

ではまた


 

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