薩南示現流 とみ新蔵 津本陽【まんが・コミック感想】【レビュー】【ネタバレ注意】 | 回廊蝦蛄日和

薩南示現流  とみ新蔵 津本陽【まんが・コミック感想】【レビュー】【ネタバレ注意】

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薩南示現流  とみ新蔵 津本陽

 

以前紹介した「薩摩義士伝」の作者の平田弘史先生の弟さんの
とみ新蔵先生の作画です
内容はタイトルの通り、薩摩に伝わる剣術の流派「示現流」のお話です
絵柄が平田弘史先生に似ているものの著者名が異なるので
調べてみた結果、上記の事が分かりました
時代は今話題の「関ケ原の合戦」より前です
主人公は流祖の「東郷重位」、彼がいかにして「示現流」を建てたかがこのお話です

 

 

 

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あらすじと感想

 

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

レビュー参ります

 

 

・薩摩の掟 薩南示現流

 

 

まず、島津藩(薩摩)における流儀から触れます
代表的戦法に「穿抜戦」というものがあり・・・主将を先頭に敵陣を真一文字に貫く、と
1000騎が一騎になり、ただ前方を攻撃・・・と書くと聞こえはいいのですが
左右を顧みずただ前の敵だけを攻撃して、首を獲ることもなく駆け抜ける・・・ので
エビシャコが思うにですね・・・これ、態勢立て直した敵に左右から挟撃されるのではないか
少数精鋭で突っ込むならともかく、1000騎も固まってしかも一列縦隊
通過するまで待ってくれるような親切な人はまずいないでしょう・・・

また、軍法に「伍の制」があり・・・分かりやすく言うと、5人一組の班です

 

・常に行動を共にし、離れた者は死罪 薩南示現流

・・・この時点で伝令に走る人いなくなりますが・・・5人で固まって走れと?
目立ちますよ? 死にますよ?

 

・戦場ではめいめい一人以上の敵を殺すべし 薩南示現流

殺せなかった本人は死罪、父子親族と伍の仲間も切腹、だそうで
・・・兵糧や消耗品やらの運搬、誰がやるんでしょうね?
あと護衛任務とか

 

・功 薩南示現流

伍の一人に功があれば他の4人の功となる・・・これはまぁ分かります
全員の功績になるなら、やる気も出るでしょう

 

・一人が敵に殺されて4人が仇討ちに失敗したら4人は切腹

こんなことされたら味方の損耗率がハンパなく上がるんですが!?
最前線の激戦地とかだとどうするんです
あと、スナイパー相手とか・・・
せめて敵前逃亡とかに適用してください
護衛任務中にやられたら、要人の周囲に誰もいなくなります

 

 

・伍の動き 薩南示現流

受け持ちの陣場から前に出るのはOK,左右後方に動いたら死罪
私が考える策のほとんどがそれやられると使えなくなるんですが!?
左右すらダメだと誘い込んでの挟撃殲滅ができなくなります
そもそも戦場の状況は流水の如く、常に動き続けているので・・・
だからこそ戦況の把握とか情報収集が重要になります
迎撃も同じです
なので・・・こういう事をされると、どうなるか・・・お分かりいただけるかと
さらに言うと、たぶんこれずっと使われてる戦法なので、敵にも筒抜けでしょう
つまり、相手にはどう動くかが完全に読まれているわけです・・・

 

・隊将 薩南示現流

伍のリーダーの首を敵に取られた場合、奪い返して仇討ちをしない限り
その伍は全員討ち死にが定め・・・だそうです

ざっとまとめましたけど、損耗率が半端なく大きい事が伺えます
よく今の今まで全滅せずに済んだものだと・・・
それどころか、この後の「関ケ原」では、「島津の退き口」をやってのけて
その強さを家康公に披露するわけですから・・・
家康公もトラウマになりますよね・・・

 

・二才組(にせぐみ) 薩南示現流

15歳を超えると少年は「二才組(にせぐみ)」という集団に編入され
薩摩武士としての教育を受けます
が・・・・・・・・・・
婦女は避け、途上で会っても・・・姿を見ただけで組頭に咎められて自殺を命じられるそうで
命じられなくてもよってたかって殺されます
現代にそれやったらあっという間に死体の山です


「思春期」を舐めてはいけません
むしろ、死を覚悟の上で彼らはやりますよ・・・
組頭も生きてはいられません、主に敵を作り過ぎた的な意味
いつか殺されるでしょう・・・
誰に、とは言いませんけど

ただ、「例外」はあるようで・・・作中では主人公「東郷重位」を討とうという一派に加わった
若い武士(二才組(にせぐみ))が、先輩武士から「童貞のまま死ぬのは不憫」と
遊女を抱くことを許可されます(そのための金まで与えるなど、前述の厳しさが嘘のような優遇)
遊女を抱いた彼は「もう何も、思い残すことはござり申はん!」
父親の遺品の兜を持って「薩摩武士の顔」に・・・

・・・悪い事は言わないので、そういうセリフは
好きな異性と会って、結ばれて子供ができて、その子供が成長して孫ができて
年老いて臨終の床まで取っておいてください

 

・おまけ 薩南示現流

「武士の命は薄紙一枚」という軽さ、


とはいえ、その誇りを汚す者は許されません

作中で農民同士の小競り合いが勃発寸前のところを伝令に走った侍がいました
地頭の肝付小平太は報告を聞きます
表情こそ変えないものの、心の中では褒めている様子がひしひし伝わります
ところが、その伝令の褌が緩んでおり・・・
たまたま井戸の近くで井戸を使用していた「佐門」はそれを見て
笑います

御免なさい、すぐ除霊します

 
それを見とがめた小平太は、刀を一閃
一撃で佐門を三つに斬りました

斬り過ぎ!
屍は犬に”でも”食わせることになり、放置
やってきた部下の侍が「犬に人肉の味を覚えさせるとまずいのでは?」と言うと
「眠っている時であっても、隙を与えないのが侍」
「犬なんぞに襲われる不覚者は家来に要らない」と・・・
こんな小平太ですが、「孫子の兵法書」などを読むなど読書家でもあります

あ・・・・・

 

・えのころ飯(犬好きの方は閲覧注意) 薩南示現流

 

どういったものかというと・・・犬を使った料理です
主人公「東郷重位」につっかかった薩摩武士二人が実行
と言っても犬を食べるわけではなく
犬を殺して内臓を抜き、中に米を詰めて火にくべ
犬が黒焦げになったらお米が食べごろ・・・というもの

そこまでするなら犬そのものを食べた方が栄養価良さそうな気がしますが・・・


そういえば、「薩摩義士伝」でも大食いの侍が主に食べてたのはお櫃一杯の米と
大きなおにぎり(具なし)でした
この時代の日本人がいかに「米」に依存していたかが分かりますね

あと、「食戟のソーマ」で似たような料理を見た記憶があります
「食戟のソーマ」ではウズラを使ったもので、ウズラもきちんと食べられるように
程よく焼きあがった上でソースがかけられ、中のライスもリゾット風に仕立てられており
まさに「食べる芸術」「食べられる美術品」と言っても過言ではない料理でした

あと・・・動物性の体組織が生存に必須なエビシャコとしては
米に染み込んだ肉汁や油では・・・圧倒的に足りません
お腹膨れればいいってものではないのです
そうですね・・・・・・・(転がってる犬と武士二人を注視)

・・・・・・・・・・ま
動物性の体組織なら牛でも豚でも鶏でも魚でもいいです
動物性の体組織なら
動物性の体組織なら(大事な事なので二度言いました)

え? さっきの屍?
さぁ・・・?

 

 

・肝練り 薩南示現流

簡単に言うと、酒盛りの宴会です
これがただの宴会ならわざわざ取り上げたりしませんが・・・
中身が凄すぎまして・・・
どういうものかというと、会場の真ん中に火縄銃を用意します
火縄銃を中心とした円を描くように間隔を狭めて座ります
火縄銃は縄で吊るされており・・・縄をよく捻ってから火縄に点火
酒宴開始です、火縄銃は回転し・・・いずれ放たれます
参加者の間隔が狭いので命中率の低い火縄銃でも高確率で当たるというもの

戦場で臆しないための精神を養うためだそうですが・・・・・・・・
エビシャコはロシアンルーレットにしか見えません

 

・示現流誕生!! 薩南示現流

 

東郷重位が故あって出家した元武士の僧侶「善吉」に教えを乞うて
修行の末、受け継いだ剣術
これこそが後に「示現流」となる剣術の基礎でした
(まだ当時は「自顕流」と言う名前)
その修行方法は師匠との打ち合いだけでなく
「薩摩義士伝」でも紹介した、例の「立木打ち」です
立てかけた太い木に木刀でひたすら気合とともに打ち込みます
一気合で3回、朝夕それぞれ3000回、これを毎日、です
ちなみに東郷重位は何度も木刀を折ってしまうので
やむなく山からユスの木を切って木刀に加工し使用しました
このユス製の自家製木刀、赤樫の木刀よりも頑丈であり
重さも真剣以上ということで、修行にはうってつけの逸材だったそうです

東郷重位の立木打ちの修行はやがて、太い柿の木を打つ修行になり・・・
2年目には柿は枯れました
1000日目、東郷重位の打撃は摩擦熱で煙を起こすほどに・・・

エビシャコには無理ですね
と、言うのは・・・柿の木には「イラガ」というごつい毛虫が付きまして
これに刺されると、すごく痛いです
凄く痛いです
凄く痛いです
凄く痛いです

失礼、トラウマを思い出しまして・・・
ともかく、その一刺しはエビシャコを毛虫アレルギーにするのに十分すぎました
後年、チャドクガに酷く刺されてその毛虫嫌いは決定的に・・・
毒性の弱いヤネホソバに指先を刺されただけで、幻覚をリアルで見るほど・・・
なので、イラガなんかに刺されたら命の保証はないのです

それと・・・主人公はユスの木をわざわざ伐り出しましたが
そのような事をしなくても、木刀を頑丈にする方法はあります
まぁ、「折れないようにする」だけですが
方法は…
まず、木刀を用意します・・・木の棒でもいいですよ
あくまで得物=媒体なので

ええ、「媒体」なのです

次にそれを利き手で持ちながら、
体内の気を十分に練ってください

十分に練った気を得物に込めて完成です
たとえ武装した賊に襲われても、相手の武器を破壊し
身体を豆腐でも斬るかのように両断することができます

達人ともなれば、紙や布であっても剣と化し
肉を切り裂き骨を断つことが可能になります
・・・と、殤不患さんが「Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀」劇中で
言っておられました

 

・島津家久 薩南示現流

異母兄は、あの関ケ原で「島津の退き口」実行者「島津義久」
彼は登場時はまだ若く、
髭剃りに失敗して血が滲んだら、しくじった小姓にも顔を切るよう命じたり
(戦場で槍刀相手にするのにカミソリ傷ごときでガタガタ言うのはどうかと思いますけど)
(まして、薩摩の武士の頂点の島津の血縁が)
顔を切った小姓の血が顔に飛んだら怒って刀を手に取り
(本当に戦場経験者なんでしょうかね、彼?)
小姓が切腹して内臓を出したら「腹の皮一分が作法じゃ!」とまた怒り・・・
(エビシャコは腹を切った上で内臓を掴み出して投げつけたり、十文字に斬ったりとか聞いてますけど?)
まぁ、人を呼ばずに自分で小姓を介錯はしているので、
相応の責任感とかは持ち合わせている模様・・・

東郷重位と彼の剣術との出会いはそんな彼を変え・・・
後年の彼は若い頃の暴君っぷりが嘘のように丸くなります
特に東郷重位を重く用い、家光公からの命を受けた柳生から彼を守るため
奔走するほどに・・・

 

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・その後の示現流 薩南示現流

東郷重位が完成させた「自顕流」ですが、その後門下生が増えます
増えすぎたのと名が売れ過ぎたのが問題で・・・
勝手にオリジナル「自顕流」を名乗って最強を誇示する者が続出
結果、彼ら同士の争いが絶えず社会問題に・・・

すっかり丸くなった家久との相談の末、大龍寺の和尚さんが呼ばれます
彼の提案で、剣術は「示現流」と名を改めることに
そして東郷重位は門下生たちに「むやみな抜刀」を含む争い事を禁止します
やむを得ない場合も抜くな、と・・・
ですが、これでも全く衰えないのが「示現流」のすごいところで・・・
何があったかと言いますと・・・
門下生の一人が民家に逃げ込んだ賊の相手をした時、
彼は知らぬ間に刀を抜いて相手を仕留めました
師匠の東郷重位から刀を紙縒りで封印されてむやみに抜けない状態であり、
本人も抜かないよう考えるうち夢見心地状態になっていた・・・まさにその最中
後日、相談を受けた東郷重位は「示現流の奥義に達した」と彼を誉めるのでした

それでですね・・・この「示現流」、廃れていません
現在も続いています
今の御当主は東郷重賢様、本書の「東郷重位」の13代目の子孫にあたります
また、「示現流」は九州だけの剣術ではなくなりました
なんと、警視庁に明治時代に警視流木太刀形に
示現流の技「一二の太刀」が採用され、これは今でも警視庁で続いているそうです

ではまた

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