コラム<エビシャコの脱力小話>「星野君の二塁打」について【コラム】【無駄話】【駄文】

LINEで送る
[`google_buzz` not found]
[`yahoo_buzz` not found]

「星野君の二塁打」について

 

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

今回はコラムです

 

 

 

・「星野君の二塁打」とは?

 

「道徳の教科書に載る」ということでネット上で話題になっている作品です
原文がそのまんまネットに出ていますが・・・(外部リンク)

ええ、さすがに著作権違反にならないかと危惧し調べたところ
「初出:「少年」光文社
   1947(昭和22)年8月号」
とあるように、戦後まもなく出版されたものでした

はいはい、あなたたちはあっちへどうぞ、爆弾落っことすんじゃないですよ

 

「爆弾じゃなけりゃいいんじゃね」ってダメに決まっているでしょう!

 

まぁそういうわけなので

価値観その他、今現在と違うことが多々あるかもしれませんが・・・

今回、そういったことは
マリアナ海溝にでも不法投棄して「一作品」として色々指摘したいと思います

 

・指摘される問題点

 

チームを勝利に導いたエースの星野君はしかし、
監督の指示を破ったために
甲子園の出場を禁止されました

上記の結末のため
「指示に従わない星野君が悪い」
「勝利に貢献した星野君を罰した監督が悪い」
議論は大まかに二分されています

 

・本当の問題

 

エビシャコの意見は、上記のこの二つどれにも当てはまりません
というか、まず「どっちが悪いか」という二元論で結論が付くような
問題ではないと思われます

この場合は、起きた事すべてをテーブルに並べ
誰が何を言ったりどう考えたりしたのか
順を追って見ていき
最終的にどうなったか
一見単純ですが、これを推敲するのが近道かと

エビシャコの結論を言うと

星野君には罰は必要
しかしこの監督もまた更迭するべき
です

理由は3つ
・星野君は罪を犯したものの、その罪に対する罰が過剰に重すぎるため
・罰の内容がルールではなく監督個人とその感情が基準のため

そして

・監督もまた罪を犯したため

です

まず、
監督が指摘している通り、勝ったのは結果論であって
星野君が指示を無視したことに変わりはありません
それは当然咎められるべき事でありますが

「甲子園出場禁止」という、
球児にとって
死刑宣告
でしかない
極刑
を下すにはあまりにも軽い罪です
せいぜい厳重注意処分か
他の甲子園選手の試合を見ながらの研修・レクチャーが
妥当でしょう

いきなりすべてを奪うほどの重罪とは到底思えません

次に、この罰の発端は監督の「きのうの星野君の二壘打が氣にいらないのだ」が発端であり、加えて
「今井先生の口調が熱してきて、そのほほが赤くなるにつれて、
星野三郎の顏からは血の氣がひいていつた」
これを「感情的になっている」と捉えないでおくのは
いささか無理があるでしょう

ここで、おさらいしますと
この監督を迎え入れた際のルールは

・野球部の規則は諸君と相談してきめる
・一たんきめた以上は嚴重にまもつてもらうことにする
・試合のときなどに、ティームの作戰としてきめたことは、
これに服從してもらわなければならない

この3つです

「・一たんきめた以上は嚴重にまもつてもらうことにする」
「・試合のときなどに、ティームの作戰としてきめたことは、
これに服從してもらわなければならない」

で・・・肝心の「これを破った者をどうするか」、は
文章の内容から、具体的には決められていないと推測されるので

「・野球部の規則は諸君と相談してきめる」
これが適用されるものと思われます

つまり、星野君をどうするかは最終決定権が監督にあるとはいえ
監督個人が決めるべきでなく
チームのみんなで話し合ってどうすべきか決めることが
ルールに沿った対応と言えます

にもかかわらず、監督はチームメイトの助け舟を意にも介さず
自分だけで結論を出し星野君を処分しました

これは、無視できないルール違反です

なので
「・野球部の規則は諸君と相談してきめる」を破った監督もまた
罰の対象と言えます

さらに言うと、彼もまた罰を受けるのは
当然です
生徒が事を起こしたから生徒一人にすべてを押し付けて終わり
など、ありえません
指導した監督もまたその責任を問われてしかるべきです

だからこそ、冒頭の結論に至ります
事が厳重注意程度で済めば
不問に伏すこともできましたが
人ひとり野球界から追放した以上
事を穏便に
とは、いきません

そして「ルールを破った者はその罪の軽重に関わらず追放」
監督自身が前例を作ってしまった以上
彼のルール違反にもこの前例が適用されます

感情で動けば、性急にやってしまえばこうなる、だからこそ、
法やルールには感情を挟まず(情状酌量は別として)
あくまで人倫に則った運用が必要とされるのです

最後に
監督自身はおそらく自覚してすらいないでしょうけど・・・
星野君に下した処罰は
「見せしめ」です

「一罰百戒」と言う言葉がありまして
「一つ見せしめに厳しく処断すれば、みんなそれを見て戒めにする」ということです

文中の描写を見る限り、星野君は心の底から反省しています
同時に極刑を恐れています
それが分からない監督でもないでしょう
ですが監督は極刑を「独断で」下しました
それもチームメイトの目の前で

後で呼び出して注意するなり他に方法もあったでしょうが
敢えてこのやり方をした、と言う時点で
彼にどういう意図があったかに関わらず
「ルールを破った事」ではなく
「監督に従わなかったこと」への
「見せしめ」
は成立しています

前にもコラムで書きましたが
自分の発言と相手がそれを受けてどう解釈するかは
全く別問題です
自分がそのように意図していないにもかかわらず
相手がそのように受け取ってしまった
そういう例は数多くあります

残念ながらこれもまた監督の狭量が招いた結果です
配慮に欠けた仕打ちの報いと言わざるを得ません

 

・一番の問題点

 

先ほど「人ひとり野球界から追放した」と述べました
「そこまでやってないんじゃないか?」とのご指摘もあるでしょう
話は星野君が処罰を受け入れるところで終わっています
が、エビシャコがこの作品を読んで
最も問題点だと思ったのはそこでして

と言うのは・・・
よく考えてください

自分の活躍で甲子園への道が開けたのに
その甲子園に自分は出場を禁止され
仲間や自分を追放した監督が活躍し称賛される

これに耐えられる人間は
果たしているでしょうか?

球児にとって「甲子園」という憧れの大舞台
そこへの道が開けてやっと行ける
その直前一人はたき落されてしまったのです
謹慎して家で応援と言うのは
まさに「あらゆる拷問にも勝る苦痛」でしょう
彼が野球をやめるには
十分すぎると言えます

一応、星野君はその場では納得しているようですが

人の心とは変わるものです
心の闇は容易に生まれ
止められない限り
どんどん大きく育ちます

謹慎中に甲子園でのゲームを見るにつれ

「どうして自分はあそこにいないんだろう?」
と言う心は芽生えるでしょう
「どうして自分だけ」
「自分のおかげで甲子園に行けたのに」
「なんであいつらばかりいい思いしてるんだ?」
「なんで指示を無視しただけでこんな目に遭うんだ?」
「あいつ(監督)さえいなければ・・・!」

黒い気持ちは
一度芽生えたら
後は大きく育つのみです

彼はまじめな子のようなので、
家族に報告して謹慎するでしょう
そして家族からこの事件を口に出されるその都度
芽生えた「芽」は大きく大きく育ちます

甲子園の結果の有無にかかわらず
かつてのチームメイトが返ってくる頃には
「変質」は終わっているでしょう

そこにはかつての球児・星野君はすでにいません

上記はあくまでエビシャコの推測ですが
少なくとも星野君が野球をやめ
その後の人生で野球を一切やらないのは確実です
彼にとって「野球」は「青春をかけるスポーツ」でなく
もはや「苦痛」でしかなくなっていることが
容易に推測できます

監督はその場の感情だけで独断で
一人の人間を野球界から永久に追放したのです

人の感情とは、心とは、
ルールのみで縛ることはできず
数字で割り切れるものでもないものだと
言わせていただきます

余談ですけど、
グレる
はまだましな方だと言えます
と言うのは・・・
昨今起きているプッツリ行ってしまった人が起こした
事件の数々を参照していただければ
お判りいただけるかと

プッツリいく原因考えは様々とはいえ
人によっては星野君と同じ目に遭ったら
「事件を起こして野球部の甲子園行きどころか
部の存在自体を破壊」
という破滅的行動に出るパターンが
ないとは言い切れないことをご留意下さい

 

・最後に

 

ルールとは、絶対の掟であるかもしれませんが
変化しないものではありません
その時その場で決められていても
後日、何かあった際に決められたのとは別の対応が必要だったり
決まった対応が合致しないこともあるでしょう
その時はその場面に沿ったルール内の対応をするか
ルールを変える機会になると言えます

無論、「消しゴム一個を盗んだから死刑」などという
極端に割に合わない厳罰などもっての外です

「悪法もまた法なり」と
その場面に沿ったルール内の対応も
ルールを変える機会を活かすこともせず怠り
もしくは頑なにルールの遵守のみを押し付ければどうなるか?

個人にしろ組織にしろ、団体にしろ
淘汰されるのみ
です

自然界においては環境に、そしてその変化に適応できなかった種に待つのは
絶滅
この二文字のみです

これは人間社会の企業や団体にも言えることです
時代の流れや価値観の変化、人々の心のありよう等、
それについていけず、頑なに変わることを拒んだ結果
容赦なく淘汰されたものたちは珍しくありません
歴史上で起きた事件の数々
あらゆる団体・組織の興亡もそれを示しています

組織にしろ個人にしろ種にしろ
長く生き延びさせるコツは
「環境変化への適応に成功するか否か」にかかっていると言っても
過言ではないかと

ではまた

ポチリとお願いします


人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

 

 

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ