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コラム<エビシャコの脱力小話>事故とその後と「感情論」

 

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

今回はコラムです

 

 

コラム<エビシャコの脱力小話>事故とその後と「感情論」

 

 

・二つの事故

 

4月19日、東京都豊島区東池袋の交差点「など」で、
乗用車が暴走、歩行者や自転車を次々と巻き込む事故を起こしました
最終的にゴミ収集車に衝突、ゴミ収集車を横転させて停止しました
この事故で自転車の母子が死亡
また自転車をはねた事故の前に、横断歩道で男性が同車両にはねられています

21日には神戸市中央区のJR三ノ宮駅前で停車していたバス停から横断歩道までバスが暴走
青信号で横断歩道を渡っていた人々が巻き込まれ
男女二名が犠牲になりました

事故を起こした加害者は前者は87歳男性後者は64歳のベテラン運転手でした

この二つの事故は「高齢者ドライバー」への危機感を
「再び」再燃させています

 

・以前にあった事故とその結末という前例

 

以前にも「高齢者ドライバー」事故はありました

2018年5月、神奈川県茅ケ崎市の国道1号交差点で
90歳の女性の運転する乗用車が暴走
歩道にいた4人が死傷する事故が起きました
禁錮3年10か月」が求刑されましたが
判決間近で友人と名乗る人物が「自分がやった」と告白
未だどう決着がつくのか分からない状態です

2018年1月9日、85歳の男性が家族の制止を聞かずに運転を強行した結果
前橋市北代田町で市立前橋高校の女子生徒2人をはね
うち一人が死亡
自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われましたが
弁護人は、前頭側頭型認知症のため行動制御能力を欠き、
責任能力がなかったとして無罪を主張
鑑定医により「脳の機能の低下」が判明しています
(この記事を書いている現在、まだ判決は出ていません)

2017年11月、愛知県瀬戸市で女性が
83歳男性の運転する車にはねられ死亡する事故が起きました
こちらは禁錮3年執行猶予5年(求刑禁錮3年6カ月)が言い渡されました

2016年10月、横浜市港南区で集団登校していた児童の列に軽トラックが突っ込み、
小学生7人が死傷
自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の容疑で逮捕された88歳の男性は
「認知症の疑いがあるが、これまで運転をやめるよう家族から注意されることも、認知症の通院歴もなかった」
「事故の発生を予見できなかった可能性がある」とのことで
「認知症」と診断され
不起訴 になりました


このように、「事故の悲惨さ」「奪われた人命」よりも
「責任能力の有無」が重大な争点となり
結果「責任能力がない」とされ「不起訴」「執行猶予」となる
ケースが目立ちます

 

・「感情論」と言う便利な道具

このような「結果」があるので
「危険視」の流れは至極当然と思われますが
それを「感情論」と言い水をかける声もあります

確かに中には過激な意見もあるにはありますが
この問題の危険性や、自分が巻き込まれるかもしれないという危機感を説いた意見にさえ
「感情論」を振りかざして止めに入るというのは
いささか「感情論」の使いどころが違うのではないかと思います

こういった流れは他の「議論」が起きる場所でも見受けられました
中には「わざと相手を怒らせたうえで”感情論”を振りかざし追い出したり
その場の運営に通報して追放・削除を申請する」といった事をする輩も
いないわけではないですが・・・

落ち着いてください

 

「感情論」「相手を黙らせることができる道具」と勘違いしてはいないでしょうか?
議論に感情が入るのは仕方のないことです
議論をするのは人間であってコンピュータではないのですから
今ではコンピュータもAIもかなり発達したので
感情抜きで結果だけが欲しければ文字通りコンピュータに聞くなり
シミュレーションをするなりすればいいでしょう

コンピュータではなく人間が問題について話し合い「議論」するのは
それをどう思うか、どんな感情を抱くか、どんな意見を言いたいかを
それぞれが出し合って「結論」を導く必要があるからこそ
だから「議論」は有用なものとして存在するのです

なお、明白な証拠を持ってこようと誰にでもわかるように理路整然と説こうと
「全く言葉そのものが通じない」
「碌な証拠もなく自分の頭の中身だけを証拠に押し通す」輩は
言うまでもなく論外です

鎌倉武士に「うっかり」それをやった人は自己責任でご愁傷さまです

 

・考えられるその後

 

仮に、今回も「不起訴」かそれと類似した判決になったとします
それに異を唱える意見を「感情論」で黙らせれば
それは「法の信頼」を
根底から崩壊させることになるでしょう

以前も似た事を言いましたが
人々が「法律」を守るのは「破れば罰せられる」からだけではありません
「法を破れば罰を受ける」このルールが不可侵・絶対であるため
人々を害する犯罪者から人々を守る「傘」としての機能もあるからです

今回、犯罪が罰せられず異を唱えても「感情論」で黙らせれば
「法は自分たちを守ってはくれない」と
人々は解釈・理解するでしょう

家や壁は壊されたら直せますし弁償も可能です
家具家電は壊されても弁償が利きます

ですが、「人命」は
弁償も修理も不可能です
それが可能となるならばそれは
「死者を蘇生させる医療技術が確立した」その時を置いて他ならないでしょう

もしその「解釈・理解」の状態で自分や自分の大切な人々、家族や友人を
ロシアンルーレットに強制参加させられたら?

果たしてどれだけの人々が「報復」を我慢できるでしょうか?
たとえそれで自分が犯罪者になったとしても・・・

たとえ「法的に間違っている」と頭で分かってはいても
デメリットがメリットを上回れば・・・

最後に
「感情」を抑えて皆が皆、計画的に冷静に行動できるのなら
いついかなる場合も法律を頭に入れて法に沿って行動できるのなら
「つい魔がさして」や「ついカッとなって」といった
事件事故はそもそも起きないものであると
提言させていただきます

ではまた

 

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