【コラム】【無駄話】コラム<エビシャコの脱力小話>「マスコミ」から「マスゴミ」へ、「マスゴミ」から「第二の加害者」へ【駄文】【拡散希望】

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コラム<エビシャコの脱力小話>「マスコミ」から「マスゴミ」へ、「マスゴミ」から「第二の加害者」へ

 

最も公平公正公明かつモラルに気を付けなければならない
情報を取り扱う報道関連の問題行為が目に余ります

 

コラム<エビシャコの脱力小話>「マスコミ」から「マスゴミ」へ、「マスゴミ」から「第二の加害者」へ

 

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

今回はコラムです

 

・「マスゴミ」という言葉が生まれた理由と背景

原因は明白であり、記録にも残っています

被災地で、事故現場で、遺族の家で
心無い言葉を「質問」や「リポート」という
名目でぶつけるという事態が相次いだことが
最も大きな要因でしょう

「報道の自由」を盾にしてこれらをごり押しするのは
「報道の自由」は「人権」よりも優先される
と大声で主張するも同じです

当然、受け入れられるはずもありません

 

・あまり報道されない事実

 

さて

上記のような失態を犯した報道関係者が
どうなるか、ですが・・・

「ワイドショーから外された」「更迭された」といった話を聞く一方で
外されるどころかそのまま居座り続けている例を聞くこともあります
居座り続けている人は当然反省もしませんから
同じ過ちを繰り返します
結果として人々は怒ります
怒りの矛先は処罰を行わないその人物を雇う局へと向かいます
それでも態度を改めない結果は
ネット上や世間の口コミにおける
該当する報道機関組織の評判
雄弁に物語っています

国民の信用を運営に必要としない組織とはいえ
最も公平公正公明かつモラルに気を付けなければならない部類であり
大きな影響力を持つ「情報」を取り扱う組織のあるべき姿としては
いかがなものでしょうか?

また、
妻の介護をしていた
ある有名プロデューサーを根も葉もない情報を記事にして
引退に追い込んだ某報道機関の編集長は
笑顔で自己を正当化していました

「人の人生を壊す権利」は報道機関はあって当然のものなのでしょうか?
仮にそれが当然としても
それを振るう事が「殺人」と何ら変わらないという事実を
彼らは果たして意識しているのでしょうか?


つい最近の出来事ですが・・・
昼間のニュースを見ていた時の事です
名前は伏せますがとある番組で
とある凄惨な事件を報道していました
特異性が強く、どういった事件なのかまだ詳細がはっきりせず
警察からの捜査の進展と情報を待つ状態
・・・を、通常の報道機関ならば取るべきところ
この報道番組は
近所のあちこちの人に恐らく聞き込みをしたのか
「子供に小学生の頃に痣があった」「教育熱心だった」などの
事件解明に不必要な巻き込まれた家族の情報を
根掘り葉掘りした挙句に堂々と報道し
その上で悪意ある憶測としか言えない意見を述べて
こき下ろすなどの
モラルある人間ならば絶対にしない事を平然と行いました

 

彼らは自分たちが持つ力をどう考えているのでしょうか?
視聴率が取れるのならば
悲惨な境遇に置かれた人々が、家族が
その地域に居られなくなるようなことも平気でしても
果たして許されるのでしょうか?

番組で好き放題に述べている人々は
自分が「人間を殺す権利」を行使しつつあることに
果たして気付いているのでしょうか?

 

・「マスコミ」が「第二の加害者」になる日

 

過去に「坂本弁護士一家殺害事件」と言う事件がありました
悪名高い「オウム真理教」の暴走事件の一つですが
この一家が殺された原因の一つが
教団側の要求に屈した報道陣がインタビューの録画ビデオを見せてしまった事にあります

そしてこのような失態が起きたにもかかわらず
第一の項目で述べたようなことは今なお続いており
「事件が起きた現場に派遣された記者が制止を無視して撮影を続けた」と言った事案も
つい最近起きました

「情報」は大きな力を持っています
人々に事実を教える事は確かに大事なことですが
「情報」は時に誤ったものが流れる事もあり
時に人を容易に狂わせ、時に人を傷つけ
時に人生を狂わせ、時として人を簡単に殺してしまうものであること
これらが完全に忘れ去られているような気がしてなりません

血が流れた後で後悔しても後の祭りです

今はまだ「マスゴミ」というレッテルに留まっていますが
姿勢を改めない限り「第二の加害者」の称号を得る
その日は決して遠くはないでしょう

ではまた

 

 

 

(追記20190727)

残念ながら、多くの人々が警鐘を鳴らしまた注意喚起をしているにもかかわらず
「京都アニメーション放火殺人事件」でもまた
報道関係者の悪癖は繰り返されました

情報を取り扱う彼らが「声」を拾わないはずがなく
これはもう
聞いた上で無視しているか、
そもそも学習能力が皆無か、のどちらかでしょう

さらに許しがたいことは
名前は伏せますが某大学の教授の危険すぎる持論を
このタイミングで記事として公開してしまった事です
彼にとってはアニメとそれを作る会社も
そのファンも駆除対象のようですが・・・

テロリストに大義名分を与えてはいけません
彼らは常に自分の暴力の正当性を示す理由を探しています

テロリストに行動理由を与えてはいけません
彼らは理由さえあれば息をする感覚で暴力に訴えることができるのです

テロリストに標的を与えてはいけません
彼らは振り上げた拳を下ろす先を見つければそちらへ躊躇なく振り下ろします

すでに何件か、大事には至らなかったものの
模倣犯が出てしまったという情報が出ています

また、京都アニメーション様の側から
今回の事件に関し
報道の自粛が呼びかけられています

もういいでしょう

これ以上「繰り返す」のならば
「第二」どころか「加害者そのもの」であると断じざるを得ません

敢えて厳しい表現を使わせていただきましたが
ここ最近の報道姿勢は正直、目に余ると言わざるを得ないのが現状です

ではまた

 

(追記)20190824

 

この記事で散々取り上げていますが
異常な取材攻勢は人々の非難を意に介さない形で今も行われています

・被害者・遺族の意向を無視した取材攻勢

 

20日、京都府内の報道12社で作る在洛新聞放送編集責任者会議
京都アニメーション放火殺人事件の犠牲になった35人のうち25人の身元を発表していない
京都府警に対し、「速やかな公表を求める」申し入れ書を提出しました
「事件の全体像が正確に伝わらない」と懸念を伝えていますが、
「過去の事件に比べても極めて異例」として速やかな実名公表を求めた上で
「今回を先例としないよう」要請しています

彼らには人の心はどうやら皆無のようです

 

 

・被害者・遺族を平気で踏みにじる暴挙

 

京都アニメーションらからの自粛要請にもかかわらず
実名報道を重んじる傾向は収まる気配がありません
朝日新聞は実名報道に対し
「犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、
お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、
実名による報道が必要だと考えています」
と意見
また匿名変更を望むに対し産経新聞は
「日本経済新聞は事件報道に際して、その現実を社会全体で教訓にするため、原則実名で報じています
今回も事件の重大性などを考慮し、実名で報じる必要があると判断しました
被害者の方々のプライバシーには最大限配慮しながら、節度ある取材、記事化に努めます」
と表明しています

その主張の前に「実名で報道されることになる人間の意志」
踏みつぶされています
彼らにとって実名を晒される側の人権は
紙切れ同然だという事です

 

・暴力を伴わない「自由を保障された暴力」

 

実名報道に意欲を示す記者は自粛を求める被害者側をどう思っているのか?
その答えが見つかりました

「名前が出せないのは、その人自体のこれまでの人生を否定してしまうことになる。
そっとしておいてほしいという気持ちもわかる。
だが、亡くなった人が残した功績を残すことは社会的な意義があるし、
今後このようなことを起こさないためにも啓発に繋がると考える

それは彼個人の意見であり考えであるだけであり
「他人の尊厳を踏み台にして良い」許可証にはならないと
私は考えます

また、被害者に甘く加害者に厳しい社会であると揶揄される現代社会
その現状の打破のためまず報道が動き
加害者に焦点を当てた報道を行うべきではないかと言う意見に対しては
「多角的な報道が必要、加害者についてはもちろん取材はするが
加害者一辺倒では見えてこないこともあり、いろんな目線から事件を捉えるのは大事

それは、被害者側の意思を無視しさらに傷つけてでも
得る価値あるものなのでしょうか?
彼ら報道関係者は
いつ「公共の福祉」を実行する権利を有し
被害者側の人間よりも上の地位を
彼らを踏み台にする権利を得たのでしょうか?

配慮をしているとする記者もまた
むやみにインターホンを鳴らさない、
手紙を入れて反応を待つなど、
取材は抑え気味にし遺族の意向を大事にしている

自分が何をしているのか
相手がどう受け取るかにまでは頭が回っていないようです

引用「「京アニ」実名報道 現地で取材中の記者に「なぜ必要か」を聞いた」より
https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20162147786/

長々と書きましたが、
これらの事から出てくるただ一つの事実があります
それは
「報道機関は特権階級意識を持っている」
ということです
かつて貴族が平民へそう意識していたように
王族が庶民をそう見ていたように
彼らは自分たちを「人々よりも上」と見ているのです

残念ながら、調査の末にこれを否定する材料は今のところ乏しく
逆に裏付ける材料が集まってしまいました
過去の一例ですが
とあるスポーツ選手へのインタビューでかつて
インタビューを行った記者は「わざといじわるな質問をしてみました」と言いました
これは「無礼を承知の上で行う」という事であり
「対等の相手に対して行うべきこと」では決してありません
にもかかわらずやったという事
それを悪びれもせず言い切った事は
「選手は自分よりも下の者である」と言葉ではなく態度で示したも同じです

この例はこれ一つだけではなく
例えば、被災地での被災者への心無いインタビュー
例えば、解散を表明したアイドルグループへの無礼な質問
例えば、事件関係者への憶測を並べただけのそれを根拠にした罵詈雑言
挙げればきりがありません

問題になっている「報道記者の暴走」は止まらないのも頷けます

いくら非難が集まろうと相手はしょせん「庶民」
「特権階級」である自分たちの地位は安泰であり
会社が法律が守ってくれる
何より「報道の自由」「表現の自由」は保証されている

こういった下地があるからこそ
「報道記者の暴走」は今なお止まらないのでしょう

 

・結果が全て

 

この言葉はスポーツの世界でよく言われる言葉です
人類社会にも当てはまると言えます
報道行為が為した功罪そのすべてもまたこれに当てはまり
「報道によってさらに傷つけられた人々が生まれた」という「結果」もまた
例外ではありません

「報道記者の暴走」を止めるには
まずはその「特権階級意識」をなくすこと
相手と対等な位置にまで、同じ目線にまで
まずは意識した上で下がる事
これをしなければならないでしょう

できないのなら、
「報道の自由」は「暴力なき暴力行為」と認識され
その存在自体がテロリストであるかのように忌避される未来が待っています

「~テロ」という言語に報道関係者関連の言葉が生まれ追加される日はそう遠くないかもしれません

 

 

(追記)20190825

 

話のすり替えが起きているようですので声を上げる事にしました

・騒がれる萎縮問題

 

「表現の不自由展」という展示会が愛知県の名古屋市で行われました
ですが「慰安婦問題」で有名な「少女像」や
「天皇の肖像画を燃やす作品」などがあった上に
ちょうど日韓問題がこじれにこじれた時世だったため
批判・脅迫が殺到
安全を保持不可能と判断した名古屋市により中止が決定しましたが
これを不服とした県知事は市長を批判
双方の批判合戦に発展しました

それに伴い献金問題などの様々な問題が次々に芋づる式に発覚し
今も混乱と新情報の発覚は続いています

 

・原爆・戦争の悲惨さまでも「中止」案件に

 

4日に開催された「原爆写真展」の後援依頼
長崎県佐世保市の市教育委員会が断りました
同時に実施していた「ヒバクシャ国際署名」活動が
政治的中立を侵す恐れがある」と判断したため、としています

また、東京でも日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する
「平和を願う文京・戦争展」の後援申請東京都文京区教育委員会が
同様の理由で断っていました

マスコミはこぞって「表現の自由の委縮」と騒ぎ
「自由の危機」だと煽っていますが
私はこれを「萎縮」とは思っていません
と言うより、そんな複雑な問題ではないと思います
単純
「断ったら確実に世論を敵に回す気乗りのしない面倒な要請を
たまたま起きた出来事と流れを口実に便乗して中止に追い込んだ」
というだけの問題であり
ようするに「自治体の怠慢」「身勝手」であって
「表現の不自由展の中止」とはまったくの別問題と私は考えています
なので、たとえ「表現の不自由展の中止」が起きなくても
抗議が起きなくても何か別の事件か理由を見つけてきて
便乗する形で中止していたでしょう

つまり、自治体にとって後援の要請を断ることは
「すでに決定事項」であって
後は「それをどうやって自然な流れで断るかと言う問題だった」というわけです

「当然のことをしただけ」という
インタビューに答えた職員の表情とセリフが
何よりも雄弁に物語っています

該当の自治体にとっては
当たり前のことをした
それだけなのです

そもそも日韓問題とは全く別の話であって
ここに「表現の不自由展」でのいざこざを持ち込んだり
それを口実にするという事自体が
おかしなことです

例えるなら
ヨーロッパで飛行機事故が起きたからと言う理由で
日本の電車の運行を安全の確認ができるまで中止するといった事と
同じです

つまり、本来は全くの別々の問題であるものを
意に沿った結果に収束させるため
敢えてこじつけて結び付けて口実にした
そういうことです

このようなことを続ければ表現の自由以前に
自治体への信頼や信用が死ぬと苦言させていただきます

 

 

(追記)20190828

2019年8月27日、
度重なる京都アニメーション側からの要請及び
被害者遺族の方々の意向を
踏みにじる形で実名報道が為されました

この件について京都アニメーションの代理人弁護士は
「大変遺憾」とのコメントを発表しました

ファンを含む多くの人々からの要望もあったでしょうに
彼ら報道機関は強硬手段に踏み切りました

氏名だけでなく年齢や住所までも公表したことについては

人間の言葉で言い表すことは不可能
言葉もないというのが正直なところです

今回彼らのしたことは凶悪犯罪に勝るとも劣らない所業と言えます

被害者や遺族の生殺与奪権を
いつどこで誰から与えられたのか
まずそれをはっきりしていただきたい

 

・最後に

実名発表の後も
氏名を報道しなかったメディアに対して
京都アニメーションの代理人弁護士は
「公表に関わらず報道を控えていただいた報道機関のあること、認識しております。
当該報道の関係者におかれましては、節度ある対応をいただいておりますことについて、
感謝申し上げます」
と感謝の意を表明しました

では・・・そういうわけなので
エビシャコもこの場を借りて
感謝の意を表します

配慮してくださったメディアの皆様
本当にありがとうございます
人の心を失わない「真の報道姿勢」をこれからも継続してください
エビシャコはあなた方の事は
微力ながら応援いたします

 

 

ではまた

 

 

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