【コラム】【拡散希望】コラム<エビシャコの脱力小話>絶対者の暴走をどう止めるべきか【無駄話】【駄文】

LINEで送る
[`google_buzz` not found]
[`yahoo_buzz` not found]

絶対者の暴走をどう止めるべきか

 

人を狂わせる「ジャッジ」が多すぎるので

絶対者の暴走をどう止めるべきか

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

今回はコラムです

 

・スポーツの「誤審」問題

 

おかしな審判のジャッジにより
選手が優勝を逃したり
チームが負けたりと言った事は
スポーツ業界で相次いでいます

審判も人間です、間違える事もあるでしょう
それは仕方ない事です
ですが
間違いを指摘されても認めず
証拠が揃っても曲げないのは
「誤審」の範囲に収めていいものかどうか
疑問が生じます
「認識した上でわざと間違った判断を下している」
これに尽きるからです

これは「誤り」ではなく
「確信犯」と呼べます

これだけでも信頼性を揺るがすに
十分すぎるのですが

ここに「審判も人間」と言う要素が
悪い意味でつながってくる事があるのです
「買収」「贔屓」など
審判の個人的事情や欲望、悪意などが介在した誤審が
存在しないわけではない、という現実がそれです

事実、オリンピックと言う国際的な
スポーツの祭典においてすら
「審判の買収」は起きており問題になっています

 

・カードゲームでも

 

「マジック・ザ・ギャザリング(MTG)」と言うカードゲームがあります
世界的に有名であり世界規模の大会が行われていますが
この度、日本人チャンピオンが大会で審判の判断により
失格処分にされる事件が起きました
しかも当人の弁明や証拠は一切考慮されず
後日、口封じとしか思えない事実上の永久追放処分が下されました

似たようなことは「ポケモンカード」でも起きており
不可解なジャッジで日本人の選手が
失格にされたという報告があります

たかがゲームと侮ってはいけません
両方とも、選手個人の名誉を著しく傷つけ
精神に想像を上回る苦痛を与えた事例なのです

 

裁判における「誤審問題」

 

2019年9月13日、浜松で5人が死傷した自動車暴走事件
「判断能力なし」を理由とし
犯人に逆転無罪判決が下りました
一審の裁判員裁判で有罪が確定
2審の後の被害者遺族の署名活動の結果
12,810名もの署名が集まり提出されたにもかかわらず
検察は「適法な上告理由が見つからない」と上告を断念
無罪判決が確定しました

また、過去にも小学生の列に車が突っ込んだ事件においても
ドライバーが裁判で無罪を勝ち取る事例が相次いでおり

そして母子が死亡した池袋高齢者ドライバー暴走事故の
加害者は今現在どうなっているのか
音沙汰なしです

 

恐ろしいのは、裁判所も検察も
この流れを受け入れているとしか思えない判断を
連発していることです

「判断能力がない」なら車を運転すべきではないのに
それをして人を殺した者が許されるという前例
作り続けているのです

これは「殺人許可証」
発行しているのに等しいのです

また、同時に「法への信頼」もまた崩れてきています

浜松5人死傷事故で高裁判決に立ち会われた
遺族の方のお話では
無罪判決を受けた犯人は
笑いながら去っていったそうです

さらに恐ろしいのはこの事態に対し
「感情」や「法は法」を振りかざして
鎮火しようとする者がいる事です

「危機意識」は生存に必須のものです
脊椎動物から昆虫に至るまで
「動物」に分類される生命なら持っている
生存に必須の警鐘までも抑え込む行為を他者にするのは
「死」を相手に強要するようなものです

これは決して大げさではありません
日常生活のいたるところに「危険」は潜んでいます
それすら注意が必要であるのに
不意に他人からもたらされる「危険」となれば
なおさら「危機意識」は必要不可欠でしょう

そしてそれを欠落させた結果として起きた事故
それは時として命を奪うものであり
場合により
瞬時に多数の人命を容易に消し去るものであることは珍しくありません

 

・審判を「神」から「人」へ戻すために

「裁きを下す側にもペナルティが必要」
これがエビシャコの考えです

彼らにジャッジをされる人々にとって
人生を左右する重大事であり
名誉に絡む出来事であるため
決して怠慢や買収、審判の個人感情による左右は
許されるものではありません
まして間違いを明白にされても
それを認めず突き通すのは
「間違いが訂正されると困るから」と見ても良いでしょう

この「間違い」が「裁判」といった
「司法の場」で起きるとなると
より事態は深刻です
「司法」は「前例」を重んじる傾向にあるため
一度「前例」ができてしまうと
次から次へと「右に倣え」をすることになるからです
これを覆すことは容易ではありません

今や「判断能力の有無」が
「無罪か有罪か」の二元論に集約されつつあり
「判断能力なし」は「免罪符」になりつつあります
それが例え、「殺人」であっても

また、「裁判員裁判」の存在ですが
こうも容易くひっくり返されるようでは
その存在意義は、はなはだ疑問
言わざるを得ません
外国の制度に倣って始めたようですが
日本にはなじまない完全な失敗作であると
断じるに足る事例が数多くできつつあります

このようなことが続くのであれば
制度の廃止もまた選択の一つとして
やむを得ないでしょう

以上の理由から「ペナルティ」は必要
私は考えました

言い忘れましたが
「間違いを認めない誤審」が
ただの怠慢の結果であるなら、
その者は審判を行う資格はありません

また、「それは感情論だ」と
「感情」を理由に相手の希望と真逆の事を意図的に為すのは
「相手への悪意による攻撃」に他ならないものです
たとえそのつもりがなくても
相手がどう思ったか
相手がどう受け取ったか
結果、相手がどうなったか
これが最も重要であるので
「そのつもりはない」は
信ぴょう性に著しく欠けた言い訳に過ぎません

審判側には「その場の事」であり当事者以外には
「後で調べれて分かった時にどうにかすればいい」と思えるものであっても
試合結果は覆らず記録され、優勝が失われた事実はなくなることはなく
また当事者に耐えがたい苦痛を与える事であることに
変わりはありません

「誤審」は一度起きたら取り返しがつかないのです

「審判」側が「口封じ」を意図的に行う事が可能な権力を持っているのなら
なおさらです

「誤審問題」を軽んじる事は
当事者たちを軽んじ侮辱することと同義である
これがエビシャコの考えです

ではまた

ポチリとお願いします


人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

 

コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ