【まんが・コミック感想】武田二十四将戦国常勝軍団の伝説 工藤 かずや 大島 やすいち【レビュー】【ネタバレ注意】 | 回廊蝦蛄日和

【まんが・コミック感想】武田二十四将戦国常勝軍団の伝説  工藤 かずや  大島 やすいち【レビュー】【ネタバレ注意】

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武田二十四将戦国常勝軍団の伝説  工藤 かずや  大島 やすいち

 

「軍神」武田信玄公と、彼と共に乱世を駆け抜けた家臣たち
その物語です

 

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武田二十四将戦国常勝軍団の伝説

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あらすじと感想

 

こんにちは、こんばんは
エビシャコです

レビューまいります

 

・小田原攻め

え~と、秀吉公のじゃないです
それはもっとずっと後のお話ですから

冒頭いきなり攻めてますけど、武田軍の攻撃です
総数およそ2万
ですが、小田原城はとても強固なのです
あの上杉謙信公ですらこの時点ですでに
二度も軍を送って二度とも失敗しているとのこと

そのため、北条側は籠城戦を得意とし自信を持っています
「いずれ相手の兵糧が尽きるだろう」というセリフから
相当長い持久戦に持ち込まれても勝てるという事でしょう
城によっては3年籠城しても大丈夫なように備えているものもありますが・・・
恐らく小田原城も・・・
後、心配されるのは「水」ですが・・・当然、あちこちに井戸はあるでしょう

さらに、小田原城は特殊な作りをしていまして
当時の日本の城としては珍しく、城の中に町があります
つまり籠城中であっても中で庶民も日常生活が可能なのです

結局、信玄軍は3日で退却しましたが・・・
それは、でした

追撃戦に出た北条氏政軍に対し殿の武田勝頼隊が反転
しぶとく応戦を開始します
この時、あまりにもその強固な応戦と
退却している殿にしてはなかなか崩れないこと
北条氏政公は違和感を覚えます

即座に反転してきた時点で「おかしい」と思うべきでした

勝頼隊は「囮」であり、伏兵が左右から挟撃
氏政隊は危うく包囲されかけたところを
命からがら逃げだします

ちなみに後年、豊臣秀吉公が小田原攻めをしましたが
彼が率いたのは
22万

小田原城をびっしりと囲い込んでいる上に
当時の日本はすでに豊臣政権にほぼ掌握されており・・・
北条氏が頼りにしていた他の城もすでに寝返った後という状態

勝つのが分かりきっている戦のため
戦闘が起きているのは城の周囲だけで
秀吉公をはじめとする大名たちは
ほとんど物見遊山

結局、小田原城は落ちるのですが
力押しで負けたというよりも
「心が折れた」ということが原因として小さくないでしょう

 

・駿河侵攻

 


公国の興廃、この一戦にあり!
ジーク・ジオン!!

え? いきなりどうしたのかですって?

何のことはないです
武田軍がエビシャコの居住区域を
直進貫通するだけですから

・・・・・・・・・・・・(なんか考え中→ひらめいた!)

まぁ上記で何を閃いたのかは姉妹ブログの更新をお楽しみにということで・・・

それより、駿河は
今川館の軍が守っていますが
館を除いてほぼ陥落

静岡が弱いんじゃないんです、この人たち(武田)が異様に強すぎるだけです

信玄公は主従二騎で海を見に行きます
「水軍が欲しい」
そう思いますが、武田軍の本拠である甲斐=山梨県は
言うまでもなく「海なし県」です


そのため一から水軍を作るとなるとかなり大変
まず海に出る船を作る造船技術から始めなければなりません

そこで、家臣の真田昌幸が一計を案じます
「ないなら切り取ればいい」
なんと、今川館を守っていた敵将・岡部正綱を説得して
味方に引き入れてしまいました

彼らは水軍とそのノウハウを持っており
これにより武田軍は強力な水軍を手にすることに

有能な敵を味方にしてしまう
これもまた武田軍の強さと言えるでしょう

エビシャコとしては力押しよりも
むしろこちらの方が恐ろしいです

 

・上洛と病

 

天下統一を狙っているのは武田だけではありません
そう、あの「織田軍」の登場です
武田は石山寺本願寺の要請を受け織田信長公と対峙します

なお、なぜ本願寺が信長公の敵に回ったかというと
信長公が「土地の明け渡し」を要求する手紙を送ったためで・・・
ちなみにこれ、「織田信長最大の失策」と酷評されています
事実、この失策のせいで本願寺&日本全国の一向宗徒が敵に回り
信長公の天下統一は10年遅れたとも

そして冷遇を不満に思った将軍・足利義昭による全国大名への手紙による「信長包囲網」
織田家は窮地に立たされます

が、これは信玄公にとって好機でした
ライバルである上杉謙信公は
本願寺の要請で上杉との同盟を破棄し武田と同盟を結んだ北条と
本願寺の指令で暴れる一向宗徒へ警戒を向けざるを得なくなり
武田に構う余力がない状態

つまり、甲斐を出て「上洛」するには今が好機なのです
ちなみに「上洛」とは京の都へ入ることを意味しますが
足利将軍家を討ち取って自分が征夷大将軍になるわけではなく
当時は「形式的とはいえ全国の支配者である室町将軍の保護者となる事」が目的だそうです
つまり、事を為せば形だけとはいえ「天下を取った」という事実と大義名分ができます

ところが「上洛」はかなりの鬼門のようで・・・
桶狭間で知られる今川義元公は織田を滅ぼして「上洛」することを目的としていたと見られています
そして織田信長公もこの物語の後で「上洛」しますが・・・
天下統一まであと一歩のところで本能寺で家臣・明智光秀の裏切りに遭います(本能寺の変)

そして信玄公にとってはおそらく最後の機会と思われました
この時、すでに彼は労咳を患っており
余命は幾ばくも無い状態だったのです

 

・信玄公の死

 

上洛の途中で信玄公は亡くなりました

信玄公の死後、その死は三年秘されました
が、それは同時に武田軍は3年の間
下手に動けないことを意味しました
信玄公が自ら軍を率いて出撃するのが習わしのようになっていたので
彼がいない戦が続けば、敵に悟られます

結局、3年もたずにバレるのですけど

バレた後も「三年秘する」は硬く守られますが・・・

織田信長公がそんな機会を見逃すはずがありませんでした
彼は迅速でした
包囲網を崩した上に将軍を追放して室町幕府を終わらせ
浅井・朝倉を滅ぼします
家康公も呼応する形で武田軍に奪われていた領土の奪還に動きます

これに怒った武田勝頼公は挙兵を決意
軍神である父、あまりにも大きな山である父を乗り越えたことを
家臣たちに示すことも目的でした
最初は連戦連勝でしたが・・・
それにより生まれた「驕り」が運命を決します
織田の力を3年前と同じと思っていたのかもしれません
当然、そんなわけはありません
織田軍は倒した敵の領地を切り取って吸収しており
さらに家臣団は戦を乗り越えて鍛え上げられた猛者ばかり
3年前よりもはるかに強力です

 

・武田の滅亡

 

長篠の合戦
この決戦に家臣たちは反対しましたが、
当主の勝頼公は強硬に決戦に臨むことを決断します

この頑なさが武田の命運を決したと言っても過言ではないでしょう

武田の騎馬隊は強いと有名ですが
その有名さ故に
研究され対策され、それは実行されました
騎馬を防ぐ柵などもありますが・・・

何より大きいのは「鉄砲」の登場です
信長公は早い段階からこの当時の新兵器を取り入れていました
あの家臣・明智光秀の部隊は鉄砲隊だったという話もあります

ただし、このコミックにあった「三段撃ち」という戦法は今は教科書に載っていません
史実ではない、というのが今の有力な説です


鉄砲が使われたことに変わりはありませんが・・・

「鉄砲」は、当時は火縄銃でしたが
それでも弓矢や投石に勝る射程
何より、鎧兜を撃ち抜く威力を十分持っていました

これを大量に所持し、雑兵までもが訓練を受けた結果・・・
織田の名もなき兵士に武田の名将が次々討ち取られるという
当時としては信じ難い事態が発生します

隊長が撃たれれば残る兵士は総崩れです
指揮系統が機能しなくなるのもありますが
織田軍の「馬回り組」のような専業軍人は当時は珍しく
特に足軽はもっぱら普段は農民をしている人々でしたから・・・
当然ながら、勝てない=負ける=褒美どころか敵に殺されるとなれば
逃げます
これが当時は当たり前でした

ですが何よりも勝頼公には
父の代から受け継いだ名だたる家臣たちが矢継ぎ早に討ち取られていく現実
かなり堪えたことでしょう

武田軍は名将・家臣らの多数を討たれた上に大打撃を受けて敗走します
織田軍はこれを追撃

勝頼公を守るべく真田昌幸石櫃城を改修し
強固な居城(実質、武田家最後の砦)にしますが・・・
家臣の進言で心変わりした勝頼公はそこへは行かずに岩殿城へ

その途中で家臣の謀反に遭い、天目山で自刃します

これにより、武田は実質的に滅亡しました

そして
生き残った家臣・真田昌幸
彼と彼の息子たち(信幸・幸村)がその後の時代で
活躍することになります

ではまた

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